本の記録
読書感想文。
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ステップ
04月 11日 * 08:24 * 重松 清 *
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お久しぶりの重松清。
この人の小説はやっぱり重たい。ズシンと重たい現実味。

「ステップ」には、足取りや歩みの意味と、ステップファミリーの意味を重ねた。血縁関係のない家族を示す言葉に「ステップ」が冠してあることの温もりを感じながら、この後記を書いた。

(文庫版のためのあとがきより)


というわけで、このお話は妻に先立たれた夫が幼い娘を一人で育てていきつつ再婚相手と出会うまでのお話。
私自身がシングルマザーということもあり、大人ひとりで子供を育てていく大変さは身にしみてわかっているつもりでいます。
作中のお父さんは、娘が1歳半の時に奥さんに死なれてしまう。それも突然に。
1歳半ってのは赤ちゃんです。やっと歩きはじめたかなっていうくらいの、言葉もやっと喋り始めるくらいのそんな年頃。

営業職から総務に異動したり、残業しない、1時間早く仕事に行って1時間早く帰宅するフレックスを会社に認めてもらう、そういう働くひとり親の大変さは描かれつつも、実際にひとりで乳児〜幼児を育てる大変さはこの程度では収まらないとも思ったりする…のですが、おおまかなところでひとりで子供を育てる感じはリアルに描かれてるなあ。と感じました。

そう、重松清の小説はリアルなのです。

おじいちゃんおばあちゃんなどの身近な大人の援助がなければ、ひとりで子供を育てるのはすごく大変。
仕事か子供かって迫られたらどう考えたって子供のほうが大事なのだけれど、仕事は子供の都合では回らないのもまた真実。仕事の時間と子どもの時間はほんっとうに相容れないものだと私は実感する。
子供が病気で、、と休んだ人がつくった穴を埋めるのは他の会社の人なわけで。
周囲の人たちは子供の病気のせいで仕事の負荷が上がるっていう、これが会社時間だよなあ。

このへんの折り合いってうまくつかないものなんだろうかって考えてみるけれど、なんだかすごく難しそう。
仕事の形を子供に合わせるってことしか、きっとできないと思ってたりする。

私は早々に社員という考えは捨て去ったけれど、そして幸いにもお休みや遅刻、早退の取りやすい緩い職場に恵まれているけれど、派遣社員の給料だけで家族4人が食っていくのはやっぱり無理があるよね。。。としみじみ思う。
今それでも暮らしていけるのは、行政からの補助があるからに他ならないのです。

この物語の本題は子育ての大変さではもちろんなく、生きていくって事だと思う。
死んでしまった妻は自分に悲しみをくれた。その悲しみによって育まれた部分がある。
それは、母がいないという悲しみとずっと向き合ってきた娘に関しても。
彼は死んでしまった妻に語りかける。「お前もきちんと子育てしてるんだな」と。

別れたくない人と別れてしまう悲しさは、私達の心に大きなキズを残す。
小説のなかの彼らも、どうしようもない傷を抱えながら、薄れながらもずっと消えることのない痕として抱えている。
でもその傷があるから優しさを知ることができる。

生きるってことは人と出会って関係を育んでわかれることの繰り返しだと思う。
わかれたあとに関係が終わるかというとそうでもなかったりする。
傷ついたり痛かったりすることはしんどいけれど、それはもう生きるうえで必ずついてまわることなんだろう。
そしてそれは、そんなに悪いことでもないのだろうなあ。

母を亡くした記憶のない娘は、祖父との別れを胸に刻みつける。
そして、新しい「お母さん」を迎え入れる。
こういうことがきっと、生きている醍醐味なんじゃないのかなあ。と思ったりしました。


本当にテーマが重たいしリアルだしで、この人の小説を読むといつも色々考えてしまう。
でも、いつだって最後は「生きているのは悪くない」っていう苦い希望が生まれるのです。
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せんせい。
11月 03日 * 09:49 * 重松 清 *
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先生を題材にした短篇集。
そのうち1つは別の文庫で読んだことがありましたが、いやあ……。
これから担任と話しに行くっていうタイミングでこの本か、と。

収録作のなかに「にんじん」という短編があります。
この作品は先生が生徒をいじめる話なんですけれども。
私は小学校の5,6年の担任に嫌われていたんですよね。
先生としての義務は果たしてた。でも先生は私のことを嫌っていた。
さらに6年生の頃はいじめられていた記憶しかないわけで、
重松清が幾度となく題材に取り上げている「いじめ」と「先生」と「学校」というテーマは、
もうだいぶおとなになった私の胸にも相変わらず突き刺さる。

おとなになった私は、にんじんの気持ちも、先生の気持ちもわかる。
自分の子どもがやられたら許さない、でも先生は許しますよ。
この気持もとってもよくわかる。


学校については、ひと通りの嫌な思いをしてきています。
同じだけ楽しい思いもしています。
でも、やっぱり私にとっての学校は、窮屈な場所でしかなかった。
そしてその窮屈な場所で学んだことはとっても多かった。

いいこともわるいことも、人の中で生きていくことを学ぶ場所が学校なんだと思う。

学校にいい思い出のないひとや、家族のことで取りきれない傷を持っている人は、
きっと重松清の小説を読むと少し救われた気持ちになると思うので、おすすめです。

いい先生ばかりじゃない。
そして先生だって歳を経るごとに成長する。
どう成長するかはわからないけれど、私のことを嫌っていたあの頃の担任の先生も、
私がどうしても生理的に受け入れられなかったあの先生も、
今どうなっているのかなぁ。と思うことはあるのです。


生徒の自分が親の自分になって7年。
気がかりなことはたくさんあって、特に心配なこともいくつかあって、
「ああ、親なんだなぁ私」って苦い思いで噛み締めることも多い最近ですが
親の気持を子どもに届けるのは、本当に簡単で難しいことなのかもしれません。

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とんび
11月 03日 * 09:45 * 重松 清 *
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重松 清
角川書店(角川グループパブリッシング)


「とんび」とは、「とんびが鷹を産む」のとんびのこと。
昭和30年〜40年代くらいに生まれた人たちの、お父さんお母さん世代が主人公の「とんび」。
家族に縁の薄かった「とんび」のヤスさんに子どもが出来るところから物語は始まります。

不器用な男の子育て奮闘記みたいな小説なのですが。
ヤスさんは不器用で、ものすごく不器用なのだけれど、そのぶん考えて出てきた答えがまっすぐ。


「鷹」であるところの愛息子は、ヤスさんとヤスさんの周りの人達の愛情を一身に受けてすくすくと育ちます。
そりゃーもう、出来の良いいい子に育ちます。
ほんとうにもう、びっくりするくらいいい子に。(しつこい)

幼児だった息子が小学生になって、中学生になって反抗期がきて、親の元から巣立つ。

私の子育ては今、ちょうど反抗期くらい。
この反抗期が抜けると、オトナになるまであっという間だよなぁ。なんてことはですね、
常日頃考えている事です。
18歳で子どもが家を出ていくとしたら。
我が家の13歳はあと5年でその年齢になってしまうし、そうすると立て続けに下の子たちもそんな年齢になってしまう。そう考えると、私の子育てってもう折り返し地点過ぎているんだよなぁ。。
ただいま絶賛声変わり中で、身長も追い抜かされ気味なのですけれど、
私は女でその中でもことさら身長が低いのでね、男の子である息子たちが私の身長を追い抜かないわけがなく、
それを悲しむつもりも何もなかったんだけれど。
やっぱり身長抜かれるってちょっとしたショックなんだよなぁ。というのは、実際に追いぬかれはじめて気づいた事。

子どもが大人になることは喜ばしい一方で、とても寂しいことでもあります。

ましてやヤスさんの息子は、「鷹」なので。
とっても優秀なのです。
あっという間に色々な面で父を追いぬいてしまう。
ヤスさんはその一つ一つと、まじめに不器用に取っ組み合いをしながら、ヤスさん自身も成長させていく。

とんびと鷹の家族を中心に、様々な家族の姿も描かれています。
そのひとつひとつがいちいちグっと来てしまう。


現在子育て中の人が読むと、自分の親としての来し方ゆく方を早回しで見せられている気分になる小説なんじゃないかなぁ。
そして、色々な事情で親の愛情を受け止められず、受け止めきれずに育った人たちも、きちんと親になれるよーっていう、相変わらずの苦い希望が満ちているお話でした。

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かあちゃん
11月 02日 * 08:13 * 重松 清 *
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重松の得意技、家庭といじめ。
家の中の要はやっぱりお母さんなわけで、作中にはいろんなお母さんが出てきます。
連作短編集っていうのかな、8つの独立したお話は、すべてを通すと大きな一つの物語になる。
テーマは当然「かあちゃん」なのですが、もうひとつ大きく流れるテーマが「贖罪」。

世の中には取り返しのつかない事がたしかにあって、
誰でも何度かは取り返しのつかないことをしてしまった経験があると思う。

謝っても許されない事をしてしまった時、じゃあ自分はどうするのか。
そういうことを静かに書き綴っている小説でした。

3世代くらいに渡って描かれる「かあちゃん」
そして、「かあちゃん」の子供たち。

おかあさんっていうものの存在感の大きさをしみじみと感じました。
かくいう私もおかあさんなのですが。
私はきちんとお母さんになれているのかしら、とちょっと自分を振り返ったり、反省したり。

反面、いろんなお母さんがいて、どのお母さんもそれでいいんだよ。と言われている気にもなりました。

中学生のキモチと親の心配。
そのあたりのリアルさも身につまされるものがあります。
子供を信じることって、親の方もかなりの踏ん張りが必要なんだよね。

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きみの友だち
08月 07日 * 11:44 * 重松 清 *
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きみの友だち (新潮文庫 し 43-12)
きみの友だち (新潮文庫 し 43-12)
重松 清

重松清=子供、家族っていう感じですが、まさにそんな小説でした。
主人公の女の子は、自分に降りかかった出来事から、「みんな」を嫌う。
この「みんな」に対してさまざまな係わり合いをしている子供たちの話を連作で書き綴る。

学校にいて「みんな」から外れないようにするのにどの子もかなり必死になる。最初に描かれる主人公のお話は、その「みんな」から外れないようにしている人たちの脇役として断片的に描かれる。

いじめられる子、いじめる子、傍観する子。みんな「みんな」の中に入っている。
そこから抜け出すととっても孤独なんだけれど、でも2人でいれば大丈夫。

ラストはとても悲しくて、でも元気が出ます。
人は誰かと出会ったら絶対に別れが来る。別れの後、一緒にすごした時間をどう定義づけて自分の中に生かすのか。それってすごく大切だと思ったり。

久しぶりに読んだ重松作品ですが、やっぱりいいなあ。好きだなあ。
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エイジ
05月 28日 * 20:01 * 重松 清 *
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エイジ (朝日文庫)
エイジ (朝日文庫)
重松 清

中学2年生がたくさん出てくる小説。
主人公のエイジ君、中学2年生。で、13歳〜14歳。
キレる中学生とか、中学生犯罪がわーっととり沙汰された頃に書かれた小説。

酒鬼薔薇聖斗事件を題材にした「うつくしい子供(石田衣良・著)」と比べて読んでしまった。

リアルな子供達の描写という意味で、エイジは秀逸。
きっちりと、丁寧に、その時代の息苦しさやその年代の息苦しさを描いている。
文中の文体、エイジが自分の気持ちを語った後で必ず出て来る、「なぁんて。」うまいなぁと思いました。

現役の中学生は、「今の中学生は云々」と言われることに対して、腹を立てる。そらそうだ。選んで現役中学生なわけでもなければ、昔の中学生の事など昔の中学生にしか分からない。
けれどそういう思いって、大人になるとわすれがちなのかな。鈍感になっちゃうのかな。

本当はすごく簡単なこと。
自分が言われたらどう思うか想像すればいいだけのこと。
自分の中学時代はどうだったっけなーと思い出せばいいだけのこと。
大人はしばしば、子供に対してそう言う部分で無神経だ。
なぜだろう。
子供だとたかを括ってるからじゃないのかな。

意識的にしろ無意識的にしろ。

自分が子供時代に背負っていたもの、今同じように背負えと言われたら、まともにやっていく自信がない自分がいる。
背負ってる荷物の重さなんて、大人も子供もたいして変わらない。
子供はいいよなぁ、なんて口が裂けても言えない。

悪意と善意、なんで悪意から目を逸らすの?って聞かれてエイジは考える。
最終的に出したエイジの結論は、なんだかとっても素敵だ。


善意は悪意に負けっぱなしだけれど、「好き」は善意とも悪意とも違って、正しいも間違ってるもカッコいいも悪いも関係なくて、ただこんなに気持ちがいい。
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ナイフ
05月 28日 * 20:00 * 重松 清 *
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ナイフ (新潮文庫)
ナイフ (新潮文庫)
重松 清

ナイフはさ、人を傷つけるものなんだけれど、自分を奮い立たせてくれるお守りでもあるんだね。

実によくいじめの現場を描いている。
どうやったらいじめがなくなるか?の問いに答えはない。
正直、一度始まったいじめが簡単になくなるとは思えない。
その中で心を折らずに居続ける事。その方法。

「いじめられちゃって大変だね。かわいそうに」と、頭をなでる事を重松清はしない。
ただ、その先の道をそっと照らす。

甘ったれた言葉を許さない。甘ったれてその場でくじける事を許さない。厳しくて優しい目線で、いじめられっことその家族を見つめている。
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四十回のまばたき
05月 23日 * 20:05 * 重松 清 *
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四十回のまばたき (幻冬舎文庫)
四十回のまばたき (幻冬舎文庫)
重松 清

これは少し他の小説と毛色が違う感じがしました。
若い、というか。

ずーんと落ち込む事にかわりはないのですが(苦笑)
大きな大きな穴ぼこを持った妻の妹と不倫の末妻を交通事故で亡くした夫の話。
誰にでも穴ぼこはあって、その穴ぼこを自覚して落ちないように落ちないように折り合いをつけていくんだよ、みたいなことで。
自分でも自覚していない自分の穴というものは確かに存在するんですよね。

それに気づかないことは、実はとっても恐ろしい事なのかもしれない。
私はなんとなく、30代になる前後でその自覚が芽生えた気がします。
必要以上に恐れていたけれど、そのうちにこれの扱い方も覚えるのでしょう。
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ビフォア・ラン
05月 23日 * 19:46 * 重松 清 *
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ビフォア・ラン (幻冬舎文庫)
ビフォア・ラン (幻冬舎文庫)
重松 清

まったく知らないで手に取った。
この本が重松清のデビュー作だったなんて。

読み始めて、「ん?いつもの感じと違うな」と思った。
けれど途中から気にならなくなった。

ヨーイ、ドン の前の1年間を描いた青春小説。

みんなそれぞれに、ヨーイ、ドン に備えて準備運動をする。
見たこともないところに走り始めるのだし、どれだけの距離があるのかも分からないから、どういう準備が必要なのか、戸惑ったり迷ったり、袋小路に入り込んじゃったり。

でもみんな、それぞれ必死。
みんな一緒に歩いてきた道は、敷かれたレールの上の道で、おそらく多くの人は、高校までは自分の進む意思とは関係なくなんとなく歩いてきちゃってるのじゃないかと思ってて。

さあ、これからは自分の思うように歩きなさい、ってポンと出される高校の卒業式のあの感覚がすごく蘇る。

ザ・ゾンビーズシリーズが、高校入学の時に方向性を見つけてそちらにとことん進んでいく話ならば、ビフォア・ランはそのときに備えて必死になる、その前のお話。

何かが決まっていて、その方向に一直線な姿はカッコイイ。
でも、何もないところから進むべき方向を見出そうと必死になっている姿も、それはそれでカッコイイ。

たくさんある選択肢の中から、自分のいく道を見つけ出すことってとっても大変なことじゃないかなと思う。
特に私はそういう思いをしたことがないので、進路どうしようー何も思い浮かばないーっていう人の辛さをいまいち実感できない。
でも、すごく大変な作業なんだってことは分かる。

常にやりたいことがあるのは、ほんとうはすごくすごく幸せな事なのだよなぁ。。。と、いまさらながら思う。


不安定だから、いつ踏み外すかわからないレールの上を歩いているのだけれど。
ほんの些細なきっかけで、踏み外してしまった人と、レールにしがみついた人。でもお互いの事情が分かってて、ちゃんと信じてあげられるっていう関係性が素敵でした。
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その日のまえに
05月 23日 * 19:40 * 重松 清 *
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その日のまえに
その日のまえに
重松 清

課題図書@高校生。
へぇ、課題図書なんだ、となんとなく思って買ったのですが。
なんというか重たい本でした。

「その日」に焦点を当てたいくつかの短編集。
最後の三話が続きものになっていて、これが表題作。
最後に全ての話がなんとなく繋がるというよりはどこにでもある話として、それぞれの話の登場人物がちらっと出てくる。

さて、死ぬ事を意識して私達は生きているだろうか。
そんな人、きっとそういないと思う。
たとえば、病気で余命半年ですよ、と宣告されたり、健康診断で再検査になったり、そういう時に意識するものだろう。
再検査したって結果がなんともなかったらまた死ぬ事なんて忘れてしまうのだ。そういうものだ。

この本の中には、ガンで余命を宣告された人や事故で突然家族を亡くしてしまった人たちの話が出てくる。
家族を持ってるお父さん、お母さん。
そういう人たちに突如として死が降りかかる。

死ぬ事は皆に平等に降りかかるものだ。
自分で死ぬときを指定することは出来ないという意味で平等だ。

死ぬ人の都合とか事情なんてお構いなしに死は訪れる。
そして、死のあとには残された人たちの日常がある。

その、突如として「意識してよ!」って現れた死というものに対して、死に行く人、残される人たちがそれぞれ必死に折り合いをつけていく過程がとてもリアル。

ある一編で「永遠なんてない」と言い、別の一編で永遠を語る。
そしてその両方はどうしようもないくらいほんとうのことだ。
いのちは簡単になくなる。不条理になくなる。
でもその人が生きた記憶は重たい。
一緒にその時間を共有した人にとって、重たい。
そういうことなのだなぁ。

なんて実感を。

重たい本だったけれど、よい本でした。

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