強い人って、どんな辛いことでも耐えられる人のことだってずっと思っていた時期があります。
辛いことがあるたび、心に傷を負うたび、痛くて痛くてたまらないあの感じとか、
寂しくて寂しくて、自分でどうしたらそれを埋められるのかがわからず、かといって手を伸ばすべき誰かも見つからず、身の内で暴れる寂しさを必死で抑えつけるつらさ。痛み。
寂しさは飢えることにすごく似ている。
私達の社会は、幸福なことに飢える事がめったにない。
お腹が空けばとりあえず何かは食べられるように出来ている社会。
死なないために自分の生きる時間の大半を割かずとも生きて行けてしまう世界。
そんな幸福な、けれど不自然な社会。
自然とか不自然とかを考え始めると、ではどういうものが自然なのかという定義がすごく難しいのでここではさらっと流しておくことにして……私達の住むこの社会は、人間だけが異様に大事にされている世界であります。
「新世界より」は、およそ今から1000年後の日本が舞台の小説です。
SF小説らしいです。
この1000年後の世界は、今私達が暮らしている社会よりも昔の社会のような暮らしをしています。
まず、電気がない。当然電波もない。
そして、人が踏み入れられない地域がたくさんある。
大きく違うのは、暮らしている人間のすべてがサイキックであること。
今私たちの社会で活躍している様々な技術も「古代の」ものとして語られている。
1000年間の間に何があったのかは、小説を読んでいくうちに徐々に明らかになるのだけれど。
人の考える楽園っていうのはどういうものなのだろう。平和ってどういうものなのだろう。
そういうことを考えてしまう。
食ったり食われたりして、自分が心の底から安心できるような場所なんて何一つなく、死なないように必死になっていなければ簡単に死んでしまうというのが、本来の世界の姿だと思う。
私達人間には、今、心の底から安心できる時間や場所がある。これはすごく特殊なことだと私は思っている。
人間にとっての安全や安心をつくり上げるために、その他の生物をこれ以上ないくらい犠牲にしている。
私達の社会はそういうふうに成り立っている。
みんなに無理のないような社会というのは、そもそも作れないから。
1000年後でもそれだけは変わらない事実なのです。
人間という種に対してだけにやさしい世界。
その裏側の仕組を覗いてしまった子どもたち5人。
そんなところからこの物語は始まる。
主人公の女の子はとってもとっても強い子なのですが、自覚はありません。
サイキックの能力がずば抜けて素晴らしい同級生に恋をしたり、自分にはないものと落ち込んだり、なかなか忙しいごくごく普通の中学生。(全人学級と呼ばれていますが)
彼女は最初「強い」と評価された時に猛烈に反発します。
自分は強くなんかないと。
けれど、彼女は本当に強い人なのです。
その強さとは、どれだけ傷ついても、痛い思いをしても、なかなか心が折れないということ。
痛いよう辛いようと叫びながらも、なんとか前を向いて自分の世界を切り拓いて行こうとする人であるということ。
清濁併せ呑む、というのはきっとこういうことを言うのだと思う。
それは、裏切りも何もかも、自分の判断基準に則って許したり許さなかったりするということ。
しんどい思いをしたり、傷ついた時にそれが平気な人なんていない。
その悲しみや傷に飲み込まれることなく、自分を取り戻せる人のことを強い人って言うんだと思う。
彼女は物語の中でこれでもかこれでもかと不幸に見舞われます。
けれど、長い長い物語の最後に、やっぱり彼女は飲み込まれずにきちんと自分で歩むべき道を決めた。
この強さが私にはとってもかっこよく見えました。
物語も長いけれど(なんせ文庫で上中下巻)、無駄な部分の何一つない素敵な物語でした。
お陰様でしばらく私は、「新世界」の世界にどっぷり浸かることができました。
大変よい小説でございました。
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